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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

9月 つながり(6)

未曾有の高齢化社会を迎えた今、還暦を過ぎて60歳以降120歳にいたる60年間、すなわち「大還暦」の時代をどのように生きていくのかということは、現代人そして現代社会の抱えている非常に重要なテーマだと思います。

現代社会においては「死」のことを語るのはタブーになっているようなのですが、今の社会状況を考えますと、そんなことを言っている時ではないと思うのです。「人は生きたようにしか死なない」という言葉がしばしば語られますように、人生のゴールについて一つの見識を持っておくことが求められているといってよいと思います。

過日、仙台の歯科医・大久保直政氏の主宰される仙台天命塾と、チャレンジPPK共催の研修旅行会があり、岩手県の遠野地方と宮沢賢治の里、縄文遺跡などを見学してきましたので、一部ご報告させていただきます。

柳田国男の「遠野物語」に蓮台野の話が出てきます。その昔、岩手県の遠野地方のお年寄りは、60歳になると若い人たちに別れを告げ、人里離れた山で自給自足の生活を送ったそうなのですが、「遠野物語」にはその様子が描写されています。

「楢山節考(ならやまぶしこう)」を思い出しますが、この地で老人たちは、毎朝与えられた畑に野良仕事に出かけていき、自分が食べる作物を栽培し、夕方には仕事を終えて帰ってくるという自給自足の日々を送っていたのだそうです。「蓮台野」というのは、60歳になって村を去った老人が、自然な死を待つ野辺送りの地を指す言葉です。

老人が毎朝、畑に出かけていくことを“ハカダチ”、夕方になって戻ってくることを“ハカアガリ”といったのだそうです。“働かざるもの食うべからず”というイメージが伝わってきますが、高齢者をどのように遇するのかというのはいつの時代でも避けて通れないテーマだったのだと思います。

「あの世」と「この世」

“蓮台野”というのは「あの世」と「この世」の境界にある場所を意味しているようなのですが、この地名にも特別の思いが込められているようです。

“蓮台”というのは蓮の花の形につくった仏像の台座を指す言葉なのだそうです。また“台”は農作を始めるという意味があり、“野”は都会に対して田舎を意味しています。

“蓮台野”という言葉からは姥捨てのような暗くてみじめなイメージは浮かんでこないのではないでしょうか?池の水面に美しい“蓮”の花が咲いています。蓮の花は個々別々に咲いているように見えますが、それぞれの茎は泥の中で一つの蓮根につながっています。

蓮の花が水面で美しく咲いている様子を「この世」とすると、池の底で一つひとつの蓮の花を生み出している蓮根は「あの世」にたとえることができます。

「この世」では、個々別々の美しい花を咲かせる蓮なのですが、蓮を生み出す原因の世界すなわち「あの世」には個々別々の姿はなく、みんな一体となっていて、そこから蓮の花は生み出されます。寿命が尽きると蓮の花は「あの世」に帰っていきます。「あの世」では個々別々に生きていくのではなく、みんな仲良く一つのイノチすなわち蓮根として生きていくことになります。

そして時期が来ればまた「この世」にやってきて、蓮の花として“生”を謳歌するのです。

“蓮”というのは「一つのイノチ」の象徴として語られる植物ですが、「蓮台野」という地名からは、みんなやがて「一つのイノチ」の故郷に帰っていくのだという意思が込められているのを感じるのではないでしょうか?

私たち人間も同じなのですね。みんな別々のイノチを生きていて、街角ですれ違う人は皆、アカの他人のように見えますが、実は深いところでつながっていて、最終的には一つのイノチを共有しているということになります。

しかし私たち人間と蓮の花とでは決定的に違う点が一つあります。人間は、その人だけに与えられた独自の役割すなわち天命をもって、この世に誕生するという点です。この地球には70億の人が生活しているのですから、70億の魂がそれぞれ独自の天命をもって誕生し、成長し続けているということになります。

独自の役割をもって成長した一つひとつの魂が、その成長の過程で学んだ成果をお互いに持ち寄り、全体として一つに融合していくのです。人生体験を通して個々別々の魂が得た成果を人類全体の魂として一つに集約し、共有することによって人類は大きく進化し、新たな地平に立つということになります。これはすごいことだと思うのです。

体験に優劣はなく、誰もが人類全体の進化につながる価値ある体験をしているということになりますね。「あの世」と「この世」という表現は、ゴールとスタートを指していて「人生とは何か?」を考えるとき、避けて通れないテーマなのですが、なぜかタブーになっていて、人は日常的な話題にすることを避けて通っているように思われます。