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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

11月 農耕民族としての日本人

平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した歌人・藤原定家が、京都小倉山で、古今集や新古今集などの勅撰和歌集(天皇・上皇の命により編集した和歌集)の中から優れた和歌百首を選び、これが江戸時代に小倉百人一首と呼ばれ現在に至っているといわれています。

百人一首は、日本人であればこそ心底楽しむことのできる、すぐれて知的な遊びだと思います。

子どもの頃、大人も交えてカンカンになってカルタ取りに打ち興じたものです。遊びながら日本の古典に親しむことができ、おかげさまで今でも100枚の札を暗記していて、すらすらと出てくるのですから、百人一首は日本人の無意識に根付いているのかもしれません。

百首の歌には一番から百番まで番号がつけられていて、飛鳥時代の天智天皇の歌が一番初めに選ばれています。

秋の田の  かりほの庵の  苫をあらみ
我が衣手は  露にぬれつつ

歌の意味は、「秋の田んぼで稲刈りも終わり、その稲の茎で編んだ掘立小屋の苫(すだれのようなもの)の目が粗いので、私の袖が露に濡れるのです」というところなのでしょうか。この歌が一番初めに選ばれたことを評して、江戸時代の人は

食うことが  まず第一と  おん選(えら)み

という川柳をつくって冷やかしています。「この歌が一番初めに選ばれたというのは、なんだかんだといっても、食うことが第一だということさ」というわけです。

百姓一揆とか米騒動などの言葉に象徴されるように、いつの時代にも食糧問題はゆるがせにできない、社会を平和に維持する上での最重要課題だったのだと思います。「食うことがまず第一」だったのです。

実際のところ、飛鳥時代から1300年ほど経た20世紀の半ば、太平洋戦争が終結した大混乱期に日本の社会は悲惨な食糧危機に見舞われたのでした。

それに引き換え、いまは飽食の時代です。店頭などで余った食糧が大量に廃棄され、家庭では子どもたちが母親から「しっかり食べてお利口ね」とほめられる光景を目にするのが当たり前になりました。こんなことがいつまで続くのでしょうか?

秩序の落とし穴

1973年、日本の社会は深刻なエネルギー危機に見舞われました。「石油ショック」です。無くなるはずのないトイレットペーパーが市場から姿を消すという不可解な事態が起こったのを手始めに、夜の街からネオンが消えるなど、巷は大混乱におちいりました。それまでガソリンの安売りが当たり前になっていたのですから、エネルギー問題に関して日本の社会はまさに“油断”をしていたのでした。

あの頃の“渾沌”とした状態にくらべれば、いまの社会は、一見調和のとれた秩序正しい状態が維持され運営されているように見えます。いまの社会は本当に何の問題もないのでしょうか?

中国・戦国中期(西暦前4世紀)の思想家 荘周の著作「荘子」に渾沌王(こんとんおう)の話が出てきますので、ご紹介させていただきます。

渾沌王のお世話になった北海の王様と南海の王様が、お礼に何かできることはないかと相談しました。「人間には目、耳、鼻、口あわせて七つの穴がある。渾沌王にはなんの穴もなくのっぺらぼうで気の毒だから、顔に七つの穴をあけてさしあげよう」ということになりました。そこで二人の王様は、渾沌王の顔に一日に一つずつ穴をあけていきました。そうすると7日目に、渾沌王は死んでしまったという少し気になる不思議な話です。

私たちは、調和のとれた秩序ある社会こそ追い求めるべき理想の姿と何の疑いもなく思っているようですが、そんなときこそ、その社会は崩壊へ向かってまっしぐらに滑り落ちる時なのかもしれません。

人が秩序ある理想的な状態だと思っている社会は、エネルギーの乏しい社会であるのに対し、渾沌状態というのは、そこから何かが生み出される可能性に満ちた非常にエネルギーが高い状態なのかもしれません。