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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

3月 永遠の繁栄のために(2)

村山節氏が確立された「文明法則史学」によりますと、この世界は1600年周期で東洋文明と西洋文明が栄枯盛衰を繰り返していることが示されています。すなわち西暦400年から1200年までの800年間は、東洋文明が高調期であったのに対して、西洋文明は低調期にありました。
その後、1200年から2000年までは西洋と東洋が逆転し、東洋文明が低調期に入り、西洋文明が高調期になりました。1200年から現代に至る、この800年間をみてみますと、西洋では、十字軍の遠征、ルネッサンスの勃興、マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブスなどの大航海時代を経て産業革命へと続き、西洋文明は大きく花開いたのでした。
西洋科学も画期的に進化しました。ティコ・ブラーエ(1546〜1601)による全生涯をかけた精密な天体観察から始まり、ケプラー(1571〜1630)へと引き継がれた宇宙の謎解きは、ニュートン(1642〜1727)力学の完成によって、宇宙のことはすべて解明されたと考えられるに至ったのです。
しかし20世紀に入って、時間と空間、物質とエネルギーの関係を総合的にとらえることのできる相対性理論、さらに原子や素粒子という極微の世界を認識することを可能にした量子力学が出現したことによって、ニュートン力学では宇宙の本質について何も判っていなかったのだということが明らかになったのでした。
と同時に、極限にまで発達した科学技術の成果が、文明そのものを崩壊に導きかねないという現実が明らかになりました。深海地震の頻発、干ばつ、豪雨、温暖化など地球規模の異変、そしてそれに伴って発生するであろう食糧問題、化石燃料の枯渇、金融資本主義の崩壊などなど、いま人類は危急存亡のときを迎えようとしています。

西洋文明と東洋文明

西洋文明が花開いた1200年から2000年に至るまで、一方の東洋文明は低調で鳴かず飛ばずという状態にありました。しかし低調期は、必ずしも悪い時期というのではなく、物質文明の興隆とは一線を画して、次にやってくる高調期に備えて実力を蓄えている時期でもあります。21世紀という大きな曲がり角を迎えた今、唯物論に基づく西洋文明から脱皮し、東洋の叡智・東洋的唯識をベースとした新しい文明を築いていくことが東洋には求められている、というのが「文明法則史学」の示唆するところだと思われます。縄文時代以来、現代にいたるまで、自然と一体となって生きることをベースとして日本人の魂が形成され、独自の文化を育んできたといってよいと思います。

「真砂なす 数なき星の その中に われに向かひて 光る星あり」(正岡子規)

日本人は星空を眺めるときにも、論理的な感覚より情緒を優先して想いを巡らせる傾向の強い民族のように思います。自然を征服したあげく、地球が駄目ならロケットを創って宇宙へ飛び出そうなどとは考えない民族なのだと思います。自分のことは自分ではわからないものですが、かつて来日した世界の偉人は、異口同音に日本そして日本人の素晴らしさをほめたたえてくれていますのでご紹介させていただきます。1890年、来日したラフカディオ・ハーンは、帰化して

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」

という古事記の歌から自分の名前をとり、小泉八雲と名乗るほど親日家でした。そのハーンは「日本の場合は危険がある。古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険である。質素さを保つかぎりは、日本は強いだろう。しかし、ぜいたくな思考をとり入れたなら、弱くなっていくと考える」と語っているそうです。日本の近代医学の発展に力を尽くしたドイツの医師エルヴィン・フォン・ベルツも「もし日本人が、現在アメリカの新聞を読んでいて、しかもあちらのすべてを真似ようというのであれば、その時は―その時は、日本よ、さようならである」と述べています。1922年、ノーベル物理学賞を受賞したばかりのアインシュタインが日本にやってきました。「もし私が、日本という国を自分自身の目で見ることのできるこのチャンスを逃したら、後悔してもしきれません」と話しているのだそうです。かつての日本には、簡素で清潔、他人に対する思いやり、そして自然に対する敬愛の念など、西欧の人を魅了してやまない美徳と品性を当たり前に備えた人々が暮らしていたということを来日した多くの識者が指摘しています。