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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

神話とアイデンティティ

フランスの神話学者デュメジルは「神話をなくした民族は命をなくす」と言っているのだそうです。神話には民族を一つにまとめあげる力があるというのです。
社会の安定性と神話は密接にかかわっているということなのですが、私たち日本人の場合どうなのでしょうか?気になるところです。
20世紀を代表する心理学者カール・G・ユングは「神話や夢、希望は、心の表層でつくられるのではなく、集合的無意識から吹き上げてくる。それがあるからこそ、人間は生きられるのだ」と述べています。
集合的無意識というのは、個人の無意識を超えて、非常に長期にわたる人類の体験の蓄積によってつくられた、すべての人に共通する無意識を指していて、そこには莫大なエネルギーが蓄積していると考えられています。インドには次のような話が伝わっています。
「この大宇宙を大きな海にたとえるとしましょう。そうすると一人ひとりの人間は、一つひとつの波にたとえることができます。もしこの波が自分自身のことを、この大海全体から生まれた存在であるということを理解せずに、自分を独立した一つの波であると考えるなら、この波はその辺の水溜りの水と何ら変わるところはありません。
そうではなく、自分は小さな波に過ぎないけれど、大きな海の一部を構成する分身であると認識したとたんに、たちまちその小さな波の内部には、海の莫大な力が満ち満ちているという、その実体を理解することができるのです」。



日本の現実

1945年終戦の年を境にして、日本の教育は大きく方向転換することになりました。
作家、日本画家として活躍され、戦後(昭和24年ころから)しばらくの間、小学校に勤めたことのある故・出雲井晶さんは、「母国の原点である『日本の神話』を忘れ去った現代」という視点から、概略次のように述べておられます。
……社会科では、天照大神とか神武天皇という名前は全く消えていた。教科書には『邪馬台国』とか『卑弥呼』とか耳に逆らう語が出てくる。『邪』という語には、字引を引くと「よこしま、いつわり、心がねじれている、有害なもの」などと良い意味は少しも含まれていない。
よこしまな馬のような形をした国の女王が卑弥呼で、「弥(いよいよ)卑しいと呼ぶ」、である。日本人のこころで素直に考えれば、日御子か日御呼であることは明らかではなかろうか。
私たちの祖先が大切に伝承してきた『古事記』『日本書紀』は、壮大な宇宙創造の真理から展開し、日本建国の原点が語られている。それを戦後は一切消し去って教えなかった。
歴史の古い国にはどこの国にも神話がある。それが科学的に実証されるものであればもう神話ではない。
 将来、祖国を立派に背負って立ち、日本人としての自覚と誇りをもって世界に貢献してもらわねばならぬ子供たちに新しい息吹を吹き込み、その国の民族をして進むべき道をおのずと教えてくれるものなのである。
「あなたの生まれた国は、こんなに素晴らしいよ。昔から、こんなに立派な歴史がある国だよ」‥‥と。(※出雲井晶「わかりやすい日本の神話」(展転社・中公文庫)をご参照ください。)
終戦後、学校では、私たちの祖先が大切に伝承してきた『古事記』や『日本書紀』を教えてきませんでした。最近になって小学校の国語で、『古事記』が取り上げられるようになりましたが、日本人の心から不思議なロマンをもつ『日本の神話』が消え去って約70年が経過していることになります。デュメジルの指摘が実感をともなって迫ってきて、気になるところです。
この間、日本人の心はどのように変化しているのでしょうか? 気になる事例を挙げてみることにいたします。
【1】1960年代後半のことです。70年安保を控えて角材を手にした若者たちが大騒ぎをするなど、日本が大きく揺れた時代がありました。徒党を組んだ若者が、大学で先生をつるし上げ、「てめーらは・・・」などと口汚くののしっているという話を聞いて、一体この国はどうなっているのだろうと思ったものです。
【2】こんなこともありました。1990年代の初めのころですが、中学生の子供と日本の国のことについて話していました。その中学生が「日本人はどうにもならないような劣った民族なのだと学校で習った」と話していたのをいまでも忘れられません。
【3】学校で『君が代』を歌うことに反対する先生が、生徒を巻き込んで、国歌斉唱の指示に従わなかったという事例が報道されています。つい最近のことです。
いまこの国にいったい何が起こっているのでしょうか?