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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

物語のある人生

 私たちは西洋科学に基礎を置く学校教育を受けて社会に巣立ってきました。すなわち、人間は宇宙とは一線を画した存在であるという前提のもとで導き出された科学法則を学習し、今日に至っているわけです。客観的であることを前提として、私たちの教育は組み立てられていたように思うのです。
 基本思想は、「宇宙万物は粒子でできている。モノがすべての基礎にある」という唯物論に立脚するものでした。特に、戦後の混乱期から今日に至るまで「心がすべてをつくり出している」というような考え方は、カヤの外に放り出されて現在に至っているように思われます。
 ところが、最近になってその風潮に目立って変化がみられるようになりました。「人間は、宇宙と一線を画した存在ではなく、この“大宇宙(マクロコスモス)”から分離して考えることのできない“小宇宙(ミクロコスモス)”なのだ」という考え方に、違和感をもたない人が大勢いらっしゃるように感じられます。それどころか、「すべては心がつくり出している、すべては心の中にある」と考える人の割合が急速に増えているのではないでしょうか?
 以前にもご紹介させていただきましたが、20世紀を代表する心理学者のC・G・ユングは「神話や夢、希望は心の表層でつくられるのではなく、集合的無意識から吹き上げてくる。それがあるからこそ、人間は生きられるのだ」と述べています。
 集合的無意識から吹き上げてくる夢や希望を現実のものにしていく過程で、一つ一つの出来事がチリのように消えてしまうのではなく、つながりをもって生きてくることに気づかされ、そこに“物語”が生まれると言ってよいと思います。

国生み

「しあわせ通信」でおなじみの立花大敬さんは、古事記のイザナキ、イザナミの「国生みの神話」は、新しいものを生み出すストーリーで、日本人は、この神話のすぐれた創造技法が身についている、と述べておられます。概略をご紹介させていただくことにいたします。
 天の神々が、イザナキ、イザナミをお呼び出しになって「この〈漂える国〉を、清め、整え、しっかりとした国にしてきなさい」と天命を下されました。
 《イザナキ、イザナミには、目標達成へのプロセスを示され、そのために必要な道具として〈天の沼矛〉を賜りました。イザナキ、イザナミが、天の浮橋に立って下をご覧になると、そこは大海原でした。そこで沼矛をさしおろして、海水をかきまわされますと、塩水が「コオロ、コオロ」と鳴りました。そうして矛をお引き上げになりますと、矛から水が滴り落ちて塩となり、それが堆積して島となりました。その島をオノゴロ島といいます》
《さて、そのオノゴロ島に、イザナキ、イザナミが天降りされました。その島にお立ちになり、まず“天の御柱”をお見立てになり、八尋殿(広く大きな家)をお見立てになりました》
  “見立て”とは、観る事は建てる事、つまりイメージを観る、そうするとおのずとそれが現実となる創造技法で、これは天界で使われている技法ですが、地上でもこの方法が使えるわけです。つまり“見立て”の技法で日本国の根本設計をされたのです。

・「天の御柱の設計」…天の神々と地の人々が親しく交流する、そんな崇高な国にしよう
・「八尋殿の設計」…大きな、あたたかい、愛の家庭国家にしよう。
 この2点を根本理念として国生みの作業が始まったのです。

 いよいよ国土を生み出す段階です。イザナキは「天の御柱を中心にして、お互い逆の向きに廻って出会ったところで交わることにしよう。君は右まわり、僕は左まわりにしよう」と約束されました。
 《このように約束され、天の御柱をおまわりになっている時、イザナミが「ああ、あなたは何て素敵な男性なのでしょう」とおっしゃいました。それに次いで、イザナキが「ああ、君は何て素敵な女性なんだろう」とおっしゃいました。
 そうしてお交わりになったのですが、できた子は失敗でした》
 《そこでイザナミ、イザナキは再び天に昇って、天の神々に問われました。天の神々は「イザナミが先に発言したのがいけなかった。もう一度やり直しなさい」とおっしゃいました。そこで二神は、天の御柱をめぐり、まずイザナキが「ああ、君は何て素敵な女性なんだ」とおっしゃり、次にイザナミが「ああ、あなたは何て素敵な男性なんでしょう」とおっしゃいました。
 そしてお交わりになってできた子が、淡路島、四国、九州、壱岐の島、対馬、佐渡の島、そして本州なのでした》ここで、なぜはじめの国生みが失敗であったのか、その原因は、イザナミが先に発言され、リードされたことにあるということが語られています。


唯物から唯識へ

 イザナキは、気的なもの、天的、霊的、イメージ的、言葉的、イデア的なものを代表しておられます。
天的、霊的、イメージ的、言葉的なものは絶えず地上において形となること、現実となること、物質となることへの衝動というか、エネルギーの流れる方向をもっているのです。
 それに対して、イザナミは、身的なもの、物質的なもの、地上的なものを代表されています。物質的なもの、身的なものは決してそれだけでは完成できず、常に、イメージ的、天的、言葉的なものを受け入れて、そのリードの通りの表現体を生み出していこうとする衝動、エネルギーの向きをもっています。
 イザナミが先に発言されたというのは、物質主義、唯物主義がはびこって、世界をリードしている状態を表しています。唯物主義から出る結論は、精神とか、意識とか、心とかいうものは、本当は実体がなく、すべて脳の働きや、体の生理状態が生み出した幻想にすぎないということです。
 物は一ヶ所を占めますから、他のものは、その同じ場所に入ることができません(心や意識には可能)。このように、物には、他のものを排除するという性質があるのです。
 それに対して、心や意識がすべての根源であるという立場に立てば、愛し合うものは、宇宙のはしとはしほど離れていても、生死へだたってもピッタリひとつなのです。
 現代はまさしく、そんな物質主義のリードする世界が最後の段階に入っていて、結論として、それが泡のようにはかなく崩壊してしまう世界しか生み出せないということがようやくわかりかけてきた段階です。
 古事記の神話を予言として読みますと、現代はまさしく、最初の国生みが失敗であったということがはっきりした段階まで来たのです。これから出直し、やり直し、真の国生みをいよいよ開始しなければならない段階です。
 私たち一人一人は、そのためのイザナキであり、イザナミです。
 今度は失敗しないよう、「気」を引き締めてやりましょう。
 以上につきましては、立花大敬先生の『《しあわせ通信》第一集 心はゴムひも?!』(本心庵)より引用させていただきました。私どもで販売させていただいています。