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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

「気」の話(4)

 私たちは、あまり意識することなく「ひ、ふ、み、よ・・・」と数を数えますが、この数え方には「“光(ひ)”と“風(ふ)”と“水(み)”があって、“世(よ)”ができた」という意味が込められているのだそうです。
 キラキラと光る太陽の日差しをいっぱいに受け、穏やかな風が吹き、清く美しい水が流れ、樹木がさっそうと生い茂る「気」の良い土地に住みたい、という願いを持つのは誰しもだと思うのですが、そんな理想的なところはなかなか見つかりそうもありませんね。
 ところが古代中国には、都市や住居そしてお墓に至るまで、「気」の流れを調えることによって美しく健やかに暮らすことができる空間にしてしまう、「風水」と呼ばれる画期的な思想と技術があったと伝えられています。
 「風水」は非常に興味深い思想なのですが、占いのような非科学的なイメージがあって、誤解を生む要素も少なからず存在するため、社会の表舞台に登場することはあまりないと言ってよいと思います。
 とは言え、現代科学の範疇を少し超えた、参考にする価値のあるテーマだと思いますので、以下、取り上げさせていただきました。

平安京と「陰陽道・風水術」

 京の都は、西暦794年、桓武天皇によって造営されました。受験勉強で「鳴くよ(794)、うぐいす平安京」として記憶された方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 桓武天皇に幽閉され、獄中で死亡した弟の早良親王の怨霊のたたりを恐れた天皇が、陰陽師に占ってもらい、平安京を造営したと伝えられています。京都の市街は、「風水術」と「陰陽道」を駆使し、自然の恵みを生かしつつ、碁盤目のように規則正しく造られていて、都市化の進んだ現代においても、当時の模様を偲ぶことができます。

 京都市街は、図のように北と東と西を山に囲まれていて、南には何も障壁はありません。
 前方が広く開けた天然のU字型の地形に恵まれているのです。
 大地から発振されている微弱な電磁波が、あたかも音叉のように共振し、京都全体を癒しの波動で満たしてくれているわけです。
 つまり京都全体が一定の周波数をもった磁場を形成しているので、少々のノイズの影響を受けることもなく、豊かな環境を創りだしてくれる、願ってもない「四神相応の好風水地」が出来上がっているというわけです。
 「風水術」というのは、自然界に発生する「気」の流れをコントロールしつつ、生命力に富んだ「場」を創りだすテクノロジーと言ってよいと思います。
 そこには『イヤシロチ』づくりの原点がありますので、参考にさせていただいています。要点のみ以下に記させていただきます。
 理想的な風水パターンは「四神相応」「背山臨水」と言われています。
 四神とは、玄武(北:北山)、青龍(東:東山)、白虎(西:西山)、朱雀(南:巨椋池)を指します。
 「背山臨水」とは背後に山があり、清らかな水に恵まれた地を意味しています。
 大地のエネルギーラインすなわち「気の通り道」を「龍脈」、その「気」が噴出する場所を「龍穴」と呼んでいます。 
 北の山から来た「気」は、船岡山から一直線に走って「龍穴(大極殿)」に至ります。
(注:大極殿は1177年に焼失。代わって1790年、近くに京都御所が建立されました)
 「龍穴」に集まった「気」はそこから一気にほとばしり、南へと流れていき京都全体を満たします。現在の千本通りが中心軸になっているようです。
 さらに山のふところからわきあがってきたエネルギーあふれる新鮮な水が美しい川となって、京の街中を流れています。
 川の水の清らかなエネルギーが周辺の植物、動物そして人間に活力を与えてくれます。
 平安京は大地のエネルギー「気」が都全体に充満するように設計されている“四神相応・背山臨水”の地。理想の都市だったのです。


「鴨川の水で顔を洗うと美人になる」というほめ言葉があるほど、京都市内を流れる鴨川は、ただ美しい川というだけではなく、どこか神秘的なイメージが宿っているように見えます。
 同じ“かもがわ”でも、鴨川という表記もあれば加茂川という表記もあって、どう違うのか混乱しがちですので、少し整理しておきたいと思います。
 京都市の北部を、ほぼ並行して南へ向かって流れている二本の川があります。東を流れているのが高野川、西を流れているのが加茂川です。
 高野川:京都市の北東部に位置する途中峠(京都市左京区と滋賀県大津市の境界付近)に源を発し、京都市内を流れていきます。
 加茂川:京都市の北部(北区の雲ヶ畑・桟敷峠)に源を発し、京都市内を流れていきます。
 高野川と加茂川は、京都市上京区・出町柳付近で合流し、一本の川になります。
 合流することによって一本になった川を鴨川と呼ぶのが一般的です。

水に刻み込まれた生命情報

子供時代、上賀茂神社の近くで育ったものですから、近くを流れる加茂川でよく水遊びをしたものです。昭和20年代頃(1945〜1955年頃)には、高野川と加茂川の合流する出町柳付近の鴨川で、染物屋さんが友禅流しをしているのをよく目にしたものでした。
 その頃は、どうしてそんなところで布を染めているのか、気にもしないでただ眺めていたのですが、今にして思うことは、あの合流地点は加茂川と高野川という二つのイノチが合流することによって生まれる独特の「気」に満ちていて、京友禅の品質にも良い影響を与えていたのではないかということです。
 源泉からあふれ出て上賀茂神社と下賀茂神社の周辺を通過してきた加茂川と高野川の美しく清らかな水からは、それぞれ独特のバイブレーションが発振され、平安京全体を潤いのある街として育んでいったのだと思います。

 巌もあり
 木の根もあれど
 さらさらと
 たださらさらと
 水の流れる

 加茂川と高野川が合流して生まれた鴨川に刻み込まれたイノチのあり方は、プラスとマイナス、陰と陽、男性性と女性性、などなどいろんな意味合いをもって表現されるように思います。
 合流地点の水には、目には見えない無数の“泡”が生じていたに違いありません。この泡には、それぞれの川の水のもつ特性とは全く異質のエネルギーが込められていて、友禅染めの微妙な美しさを支えてくれていたのかもしれません。
 古代の人は、「風」と「水」が一瞬たりとも途切れることなく、北から南へと流れ、常に新鮮な空間を保ち続けることができるよう京都の街を設計したのではないか、ということが感じられる風景なのです。 

(注:京友禅というのは、京都独特の伝統工芸で、元禄時代に宮崎友禅斉が美しい模様染を完成したと言われています。白い絹織物に絵を描き、染めた生地を鴨川の流れでさらすことにより、美しい独特の色彩を出していたことで知られています。高度成長期の1971年、水質汚濁の原因になるという理由で、鴨川の水にさらすやり方は中止になりました)