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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

コミュニティへの道(3)

私たち日本人は、明治以来、近代科学の洗礼を受けて現在に至っていて、科学・技術抜きでは考えられない文明を築いてきました。
 科学は進歩すればするほど微細なことが解明される、その一方で、専門分野の壁に阻まれて全体像が見えない状況に追い込まれる傾向にあると言ってよいと思います。
 大は宇宙から小は素粒子に至るまで、幅広くそして奥行き深く発展しつつある科学の世界ですが、専門分化がすすむにつれて異分野の壁が強固になり、「隣は何をする人ぞ」といった閉鎖的な雰囲気が漂いがちではないでしょうか?
 最近“リベラルアーツ”という言葉を知りました。“リベラルアーツ”というのは「専門性にとらわれない幅広い教養」と認識されていますが、元をたどれば古代ギリシャにまでさかのぼり、「人間を種々の限界から解き放って自由にする」という意味が込められているそうです。
 東京大学理事・副学長の石井洋二郎氏は「ある程度専門教育を受けた3・4年生の段階では、いま身を置いているフィールドからいったん外に出て、自分の学問分野を相対化し他分野との差異を認識した上で、相互連携や協力の可能性を模索できるようにならなければならない」と述べておられます。
 大学教育の現場では、“リベラルアーツ”の重要性がますます強調されるようになってきたのだそうです。



刹那生滅

私たちの肉体は、60兆個の「細胞」でできていると言われています。その肉体は、心臓や腎臓、肝臓や胃、腸など様々な「器官」で形成されています。心臓に派遣された「細胞」は心臓の役割を果たすために、腸に派遣された「細胞」は腸の役割を全うするために、全力投球しているのですから、考えてみると、私たちの体の中ではすごいことが起こっているのですね。これらの「細胞」は、もっと細かい要素であるアミノ酸やたんぱく質などの「分子」からできています。そしてこれらの「分子」は、もっともっと細かい要素である炭素や酸素などの「原子」からできあがっています。
 さらにミクロに見ていきますと、「原子」は、クオークや電子など極微の「素粒子」からできています。すなわち私たちの肉体は超ミクロの「素粒子」を原材料として形成されているのです。
 さらに不思議なことに、このようにしてできあがった肉体の98%は半年以内で入れ替わってしまうと言われています。刹那生滅という言葉がありますように、素粒子は、生まれては消え、生まれては消え、一瞬一瞬生成消滅を繰り返しながら、肉体の構成要素として常に新鮮な状態で存在しつづけているわけです。
 5年ぶりに街角で、学校時代の友人に出会ったとします。その友人の顔その他、肉体の構成要素はすっかり入れ替わっているはずです。にもかかわらず、お互い同士、しっかり認識でき「久しぶりだね」などとあいさつを交わすことができるのですから、不思議といえば不思議、イノチの仕組みは絶妙というしかありませんね。

マクロとミクロ

私たちが日常生活で体験するマクロの世界と、素粒子レベルのミクロの世界で起こる現象との間には大きなギャップがあることが知られていますが、そのメカニズムについて考えてみたいと思います。
 (図2)のように、ついたてに二つの穴をあけて、その穴に向かって一個の電子を飛ばしてやると、一個の電子であるにもかかわらず、同時に、二つの穴を通るという奇妙な現象が起こることが知られています。
 一個の電子が「波動」としてふるまっているわけです。マクロの世界ではこんな奇妙なことは起こらないのですが、ミクロの世界では、粒子が波動となり、お互いに干渉するという現象が起こるのです。
 さらに奇妙なことが起こります。どちらの穴を通過したかを確認するために観測装置を置いて観察しますと、二つの穴を同時に通るというようなことは起こりません。
 この時、何が起こっているのでしょうか?
 人間が観測すると、「波動」として存在していたはずの素粒子が、「粒子」としての素粒子に変化するのです。素粒子が「粒子」として出現するため、当然のこととして、ひとつの穴しか通らないわけです。
 素粒子のこのような奇妙な振る舞いは、“観測問題”と呼ばれていますが、一体何が起こっているのでしょうか?
 「意識」をもった人間が観測すると、今まで「波動」としてふるまっていた存在が、突如「粒子」としての素粒子に変貌するのですから、びっくりですね。

宇宙のリズムで生きる

 人間の構成要素である素粒子が、人間の意識に感応するのだとしたら、あることを強く思い続けていると、そのことが現実化するということになります。
 クヨクヨしていると、体もそれに呼応して病気がちになることでしょう。
 素粒子の集合体としての「私」が生き生きと輝いて生きるために必要なことは、宇宙のリズムに身をまかせること、すなわち「空」の境地で生きることと言ってよいと思います。
 そこに人間の「自我」が口出しすればするほど、宇宙のエネルギーは体の芯まで通ることができなくなります。
 素粒子のような超ミクロな世界を追求すればするほど、「意識」や「心」の神秘性が際立ってきます。
 平安時代末期、後白河法皇によって編まれた歌謡集「梁塵秘抄」に、こんな素晴らしい歌が伝えられています。

遊びをせんとや生れけむ、
 戯れせんとや生れけん、
 遊ぶ子供の声きけば
 我が身さへこそ動がるれ。

夢中になって遊んでいる子どもには「自我」とは無縁の宇宙があるのですね。
「宇宙」と「私」をつなぎコミュニティへの道を切り開くもの―それは「遊び」ではないでしょうか?

参考文献:
 *石井洋二郎「大人になるためのリベラルアーツ」(東京大学出版会)
 *佐佐木信綱校訂「梁塵秘抄」岩波文庫