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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

心の時代

いま、世界は激しく揺れ動いているようですが、これは人類の意識が新しい時代を模索している姿と言ってよいと思います。
国民の意識を二つに分断してしまったアメリカの大統領選挙が、このことを象徴的に示しているように見えます。
 1775年、アメリカで独立戦争が勃発しました。翌76年1月、トーマス・ペインによって発行された「コモン・センス」というパンフレット(アメリカがイギリスから独立することが当然の権利であるということを力強く訴求した小冊子)が人々の心に熱く訴えかけ、合衆国の独立に向けた人々の気運が高まり、7月に発布された「独立宣言」にも取り入れられたと伝えられています。
 「コモン・センス」というのは、同じ志をもつ人々が一つの共同体をつくろうとするとき、心の支えとなる共同体意識を意味する言葉だと思います。日本では、福沢諭吉が、これを「常識」と訳して紹介したのが最初で、1890年頃より使われ出したと言われています。
今ではすっかり日常用語になっていますが、明治になるまで、日本には「常識」という言葉はなかったのですね。「常識」というと「知(intellect)」が浮かんできますし、「コモン・センス」というと「情(sensitivity)」が浮かんできます。
 「知」は、A+B=Cのような方程式で解ける世界、すなわちコンピューターで処理できる言語を中心としたデジタルの世界を表現しているのに対し、「情」は「知」が及ばない世界、人間関係を動かしているアナログの世界を表しているように感じられます。
 今回の選挙でアメリカ建国以来の「コモン・センス」というアナログの世界が真っ二つに割れたのですから、新しい社会の到来が一筋縄ではいかないことを暗示しているのかもしれません。


アナログとデジタル

 農耕民族としての日本人は、江戸時代までは、自然の懐の中で自然に寄り添って生きる“アナログ”な日常生活を送っていたのだと思います。ルネッサンス以降西欧社会で発達した“デジタル”な機械文明とは無縁の生活なのでした。
 ましてペリー提督から開国を迫られるまで、鎖国政策を貫いていた訳ですから、“自然がすべて。何でも「ツーカー」”といった感じで、お上のすることについて、あまり深く突っ込んで追求しないという雰囲気があったのではないでしょうか?
 いつも自然に寄り添って生きていた人々にとって、山や畑のことはすべて“手の内”だったのですから、あえて「常識」という言葉が顔を出す余地はなかったのかもしれません。
 「コモン・センス」という言葉には直感的、右脳的な響きすなわち「アナログ」の要素が強く感じられるのに対し、「常識」という言葉からは左脳的、論理的なニュアンスすなわち「デジタル」な感覚が浮かんでくるのも、そんなところに起因しているように思えます。
 ちなみに「デジタル」というのは、離散したもの、数値化したもの、有限桁の数値で表現された量を指す概念であるのに対し、「アナログ」は、連続したもの、時間的、空間的に連続して変化する量、数値化されていないもの、自然界を指す概念です。


私たちはいま、第四次産業革命の真っただ中を生きていると言われています。
歴史をさかのぼりますと、蒸気機関が開発された18世紀の第一次産業革命、電力の活用によって花開いた20世紀前半の第二次産業革命、そして20世紀後半、コンピューター化の波が押し寄せた第三次産業革命。
 そして今、AI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)、ビッグデータ、ロボティクスなど、デジタル技術の革新によって花開きつつある第四次産業革命の渦中を私たちは生きているというわけです。
 AI(人工知能)の技術進歩は目覚ましいと報道されています。現実に囲碁の世界では、AI(アルファ碁)がプロの棋士に勝つという結果が報告されていますし、自動運転車の開発が進んでいるなど、実用化の波が着実に進んでいるようです。
さらに2045年には、人間の知性を超えたAIが、自我をもって人類を支配する「シンギュラリティ(特異点)」に到達するという予測もなされています。
 社会のデジタル化が進めば進むほど、そんな社会の中で幸せに生きるために何が必要なのだろうか? というテーマがクローズアップされてくるのではないでしょうか?
瑞々しい人間関係に支えられた社会で幸せな人生を送りたいと思うとき避けては通れないテーマなのだと思います。


「からだ」と「こころ」

現代社会では、「からだ」と「こころ」は別々の存在なのだという認識が一般的なのではないでしょうか? いわゆる「デカルト二元論」によって「からだ」と「こころ」は別々のものというイメージが出来上がったと言われていますが、“人間のことは、あたかも「からだ」と「こころ」に分かれているように見た方がわかりやすい”というのがデカルトの真意なのだそうです。
 ものごとをすべて「要素」に分解することによって真実を把握しようとするデジタルな方法論が一般化しつつあるようですが、自然界はアナログです。デジタルの語源は「デジット(=指)」で、「1、2、3・・・」と指折り数える方式で数を表記するやり方ですから、デジタルな分析によって出てくる値は近似値にすぎません。自然界をデジタルに分析して得られる数値を評価するときには注意が必要ですね。
 自然だけではなく、人間性を表現するとき、健康の度合いを数値で評価するとき、・・・など多くのケースがあてはまるのではないでしょうか?
 デジタル思考が進むと、「人はなぜ生きるのか?」「天寿を全うする」というテーマを素通りして、「長寿」に絶対的な価値をおきがちで、このことがいろんな問題を生み出しているように思われます。
“人間の治癒力を生かして行う”治療、健康法が求められているのだと思います。
超高齢化社会を迎えつつある今こそ、この時代にふさわしい人生観が望まれるのではないでしょうか? 「星の王子さま」で知られるフランスの作家サン=テグジュペリの言葉には、時代、地域を超えた万人共通の響きが感じられますので、以下ご紹介させていただきます。


「心で見なくちゃ、
ものごとはよく見えない。
かんじんなことは、
目に見えないんだよ。」          


「人がそれを見つめて、
大聖堂を思い描いた瞬間、
石はただの石でなくなる。」


「どんなおとなたちも、
はじめは子供だった。
でもそのことを覚えているおとなは、
ほとんどいない。」


「この子がきれいなのは
心の中にバラを一輪もっているからだ。」          


「本当の贅沢というのは、
ただ一つしかない。それは人間関係の贅沢のことだ。」

「僕の命を救ってくれたのは、
他でもない。
このささやかなほほ笑みだったんだ。」