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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

自然界と人間界


 バラの木にバラの花咲く
  ナニゴトの不思議なけれど
         (北原白秋)

 花開く時 蝶来たり
  蝶来たる時 花開く
         (良寛)

  別に何の不思議もないことですが、このリズムが狂うと、世の中は崩壊するわけですから、宇宙というものは、本当に神秘的です。
 私たち日本人は無一物の民族ともいわれるように、中国、インド、ヨーロッパ、アメリカから輸入した文化・文明を消化して、自分たちの生活に適応させることによって発展し、日本という国家を創り上げてきました。
 「和魂洋才」という言葉がありますね。盆栽や生花、書、絵画など、日本民族特有の微妙な情緒を通して育まれた”美を愛する心”が”道徳的な生活”を創造したのではないか、という見方もあるようです。

 良寛さんの辞世の句がこのことを象徴しているように思われます。

―形見として何か残さん
   春は花 夏ほととぎす
      秋はもみぢは―

民族の特性は、信仰生活と芸術生活において正直に表現されるようですが、民族が進歩発展していくためにも、尚武の習性(競争のための徳性)と平和の習性(互助のための徳性)が調和していく必要もあるのだと思います。
 私たち現代人も、金融資本主義の荒波に巻き込まれることなく、日本人の伝統を大切に守り続けていきたいものですね。
 そのために大切なことは、大きな視野に立って、「気」の本質を明確に認識し、与えられた「イノチ」を生きることと言ってよいと思います。
 老子の道徳経には、道(タオ)という概念が登場します。
 ……『混沌として一つになった何かが、天地が開ける以前から存在していた。それはひっそりとして声なく、ぼんやりとして形もなく、何ものにも依存せず、何ものにも変えられず、万象にあまねく現れて息(や)むときがない。
 それは、この世界を生み出す大いなる母ともいえようが、私には彼女の名前すらわからない。かりに名前を”道(タオ)”としておこう。
 無理に名をつければ大とでも呼ぼうか。この大いなるものは、大なるが故に流れ動き、流れ動けば遠くはるかな広がりをもち、遠くはるかな広がりをもてば、また、もとの根源に立ち返る』……
 見えない混沌が上にあって、眼に見える地上の世界の秩序を動かしているという世界像です。

『気』の登場

  「一陰一陽、これを道という」…道とは、陰と陽の働きが交代するパターン変化を意味し、『気』という概念が登場します。
 『気』というのは、万物の秩序に浸透し、流動している形なきエネルギーと理解すればよいと思います。すなわち形ある万物は、『気』の働きによって生まれ生かされている、というのです。
 形より下なるもの(形あるもの)は「器」(山川、草木、動物、器具など形と実体を備えたもの)と呼ばれ、「見えるもの」の世界の全てを指しています。見えない『道』の働きの容器あるいは道具を意味しています。
 私たち現代人は、自然界で起こる出来事に対して、まず”why ?”と問いかけ、物事の始まりと終わりを「原因・結果」の関係に即して問いかけるのが常と言って良いと思います。「何故このようになってきたのか?」「これからどうなるのか?」といった感じですね。
 因果関係は、時間の経過によって現象が変化していく過程が問題となるわけですが、古代中国人は、互いに空間的に離れたものが見えないエネルギーによって感応し合う現象によく注意していたといわれています。
 空間的に隔たった二つ以上のものの間に、感応による同調現象が同時に起こるということ、すなわち『共時性』がテーマとなるわけです。
 ということは、これら二つ以上のものの間に同調現象を引き起こす「作用の場」が存在するということ、すなわちそこには一種の見えないエネルギーが流れ働いているということを意味しています。 このエネルギーが『気』なのだと思われます。
 中国の『易経』では、世界の始まりを問わないし、終りも問わない、それはただ『世界はどのように動いているのか?』、すなわち”how?”と問うだけ、といわれています。視線は時間よりも空間に向けられているというわけです。
 古代ギリシャでは、この世には、二つの『時』があると考えられていました。クロノスとカイロスです。
 クロノスは私たちが日頃、時間と認識している時間です。たとえば地球は、太陽の惑星として、太陽のまわりをまわっていて、その一周を一年と定めることによって、一分とか一秒という時間が存在しているわけで、この時間が『クロノス』です。
 これに対して、絶妙なタイミングで何かが起きることがありますね。身の回りに起こる小さな出来事から、ここ一番、ものすごく大切な出来事に至るまで、何か自分の力ではない「大きな宇宙の働き」とでもいうべき、絶妙なタイミング…この時間が『カイロス』です。
 中国人は「時間の本質はそれ自体力であり、エネルギーを帯びた働きである。空間の事物は、そのエネルギーを受け入れて活動する。時間は変化させる「力」であり、空間は、その力を受けて変化する「場」である。すなわち時間と空間は、それぞれ「生み出すもの」と「生まれるもの」であると考えていたのだそうです。
 西洋近代の不幸は、すべての事柄を”原因―結果”の観点からのみ考え、歴史の未来にのみ価値を見出すようになったことである…と心理学者のユングは語っていたといわれます。
 西洋が、物質的自然にまず着目し、自然を観察の対象としてきたのに対し、東洋においては、自然は、その中から自己が生まれ育つ万物の母ととらえています。
 「死」の捉え方にも、少し違いが見受けられるようです。
 西洋では、死後の永遠を「生」を超えた彼方に見るまなざしが感じられるのに対し、東洋では「生死一如」、つまり生も死も永遠の生命の元に属する点において違いはないというまなざしが感じられるのではないでしょうか?
 心理作用と生理作用、精神現象と生命現象の間で、共時的同調作用を引き起こすエネルギーとしての『気』の存在が、西洋と東洋の認識のあり方の違いを生み出す大きな要因となっているように思われます。
(つづく)