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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

情緒


新年号におきまして、新しい時代にふさわしい【3S】として【シンクロニシティ、シェア、センス】を提唱させていただきました。
   本号では【センス】をテーマとして、【日本的な情緒】という観点から、新しい時代のあり方について考えてみたいと思っています。
  世界的な数学者・岡潔博士が、いつも口癖のように言っておられたのが、【情】の大切さ、【情緒】【人情】の重要性であるということでした。そして「【情緒の中心】が人の中心であり、【情緒の調和】は、小学校の一年から四年までに仕上げたいものだ。そして死に至るまで務める べきものだ」と述べておられます。
  以下、岡潔先生の御著書「情緒の教育」(燈影舎)を参考とさせていただきながら、【情緒】のあり方についてご紹介申し上げます。

善行そして情緒

日本で善行と言えば、少しも打算を伴わない行為のことを指すのが通例であったとして、岡潔先生は次のように述べておられます。
  「絶えず善行を行っていると、だんだん情緒が美しくなっていって、その結果、他人の情緒がよく解るようになり、ますます善行を行わずにいられなくなる…この日本的情緒が国の中身である。人は、この美しい情緒の流れを悠久の後までも続けさせる使命を負っていると考える時、義務教育が重大なものとして浮かび上がってくる…」
  「人づくりという言葉がある。人の子を育てるのは大自然であって、人はその手助けをするに過ぎない・・・」
  「情緒をきれいにするには、人の心をよくくむように導き、いろんな美しい話を聞かせ、なつかしさその他の情操を養い、正義や羞恥のセンスを育てる必要がある。
  道義の根本は人の悲しみがわかるということである。自他の別は数え年で5歳の頃からわかり始めるが、人の感情、特に悲しみの感情は一番わかりにくい。小学校の頃は、人が喜ぶからこうしなさいとは教えられるが、人が悲しむからこうしてはいけない、という教え方はできない」
  そして次のような事例を紹介されています。
  @倭建命が妻である橘姫命と共に東国に遠征中、海を渡ろうとして船をこぎ出すと、海が大荒れに荒れて前へ進むことができなくなりました。この時橘姫命は、海の神様の心を鎮めるために荒れ狂う海に飛び込まれました。そうすると海はすぐに鎮まり、倭建命は遠征を続けることができた、と伝えられています。
  A南北朝時代の武将・楠正成の嫡男である楠正行は、湊川の戦で戦死した父・正成の遺志を継いで南朝方として戦いました。溺れる敵兵を助け、手当をし、衣服を与えて敵陣へ送り返すなど、あたたかい心の持ち主として知られています。その後の四条畷の戦いで、正行は弟の正時とともに自害して果てた、と伝えられています。
  *橘姫命がちゅうちょなく荒海に飛び込まれたことや楠正行たちが四条畷の花と散り去った、という事例を挙げて岡潔先生は「私たちはこういった先人たちの行為をこの上なく美しいとみている。そして日本人は、ともに懐かしむ共通のいにしえをもつという強い心のつながりによって、たがいに結ばれている。日本人の善行は、大自然からじかに人の真情に射す純粋直感の力であって、これは【情緒】が実にきれいになっているからである。善行とは分別智の入らない行為、“他人を先にし、自分を後にせよ”という教育を受けることによって生まれたものである」とし、さらに「夏の朝の朝顔ほどきれいなものはありませんね。地球全体が大きな緑の球なんですよ。こんなきれいな緑の球なんて一つあるのが奇跡なんです。宇宙があるから地球があるなんて言いますけど、逆かもしれない。一つしかない地球を維持するために宇宙があると考えた方がいいんですよ」と述べておられます。

【情】:日本独特の通い合う心

岡潔先生は、欧米人は外界を「感覚」で見るが、日本人、特に明治以前の日本人は外界を【情緒】で見たのである、と述べておられます。
  日本では人と人、人と自然の間に心が通い合う、この通い合う心を【情】と言いますが、欧米には、これに相当する言葉がないのだそうです。フィーリングとエモーションを和英辞典で引いてみると、フィーリングとは情の淵の表面のさざ波、エモーションは表層の流れ、という ことになります。

  石川啄木の詩:
  「ふるさとの山に向かひて言うことなしふるさとの山はありがたきかな」

  日本語から永遠のなつかしさ、永遠の尊さがにじみ出ているのが感じられるのではないでしょうか?
  現代人は、「晴れた日の美しさ」はわかるが、雨の日の美しさ、この「雨情」というのがわからなくなってきている、と述べておられます。
  江戸時代、娘さんはよく恋わずらいで死んだのだそうです。恋人とはもう会えないという日が続くと、ますます恋しくなっていって、娘の【情緒の中心】はすっかり狂ってしまい、体はまるで水の切れた草花のようになってしまい、そしてついに弱り果てて死んでしまうに至るのだそうです。
  大和乙女の恋の花は【情緒】の世界にしか開かない花で、感覚の世界にその花を求めても、そこには何もないというわけです。
  物質主義に傾いた現代社会では、【情緒】が純粋でなくなっているので、恋わずらいで死ぬということはないようです。
  【情】のあり方が不明確になりつつある現代社会ですが、【情】の人物として浮かんでくるのが、西郷隆盛です。
  慶応3年(1867年)12月、第15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返還する「大政奉還」が行われ、政治の実権が江戸幕府から天皇へと移行することになりました。
  しかし多くの幕臣は、朝廷に対して忠実に従うという【恭順】には絶対反対でした。こうした状況の中で、勝海舟が徳川家の最高責任者に任命され、官軍との交渉にあたることになったのです。
  西郷隆盛・勝海舟の談判は明治元年(1868年)3月13、14日に行われました。幕臣たちは、どこまでも官軍と戦うのだという徹底抗戦の構えを見せている中での交渉なので、恭順という雰囲気ではなかったと伝えられています。
  勝海舟の嘆願をすべて聞き終わった西郷は、その嘆願をすべて受けいれるという決断を下します。そして勝海舟の前で部下の村田新八、桐野利秋に対して、明日に予定している江戸城総攻撃を中止する旨を伝えたのです。
  江戸の町が火の海となる大惨事を免れた瞬間でした。
  その後、何もなかったかのように西郷は勝と歓談したと伝えられています。
  西郷の心と勝の心の間に、日本人特有の【情】が通い合っているのが感じられるのではないでしょうか?

参考文献:岡潔「情緒の教育」 燈影舎