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バンクシアの響き

時代が急展開している今、
人間社会の新旧交代にまつわる出来事の本質をトータルヘルスデザイン 近藤洋一が考察します。

ゆらぎと人生

私たちの宇宙は、今から138億年前に、「無」がゆらいで一粒の光が大爆発をおこしたのが始まりだと言われています。ビッグバン宇宙論です。
 「無」というのは、時間もなければ、空間もない。エネルギーもなければ、物質もない状態と定義されていますが、何もないのではなく、宇宙の中の全てのものが、極めて微小なところに閉じ込められていて、ぎっしりと満ち満ちてはいるのだけれど、感知できない状態を指しているのだそうです。
 「無」がゆらいで爆発するようにして誕生した宇宙も、やがて広がって冷えていく過程で、光がしずくになります。これこそが宇宙根源の粒子だと言われています。
 この粒子がもとになって雲のように広がり、やがて最初の銀河ができ、星が生まれたと考えられています。 
 宇宙は「無のゆらぎ」から始まり、限りなく熱くて小さな光の粒子として生まれたのですが、宇宙のみならず、心地よく吹き抜ける風、小川のせせらぎなど、私たちが生活している自然界には、至るところ、身近なところに「ゆらぎ」が存在するようです。
 自然界には、じっと静止していて、全くその姿を変えないものは存在しませんね。私たち人間をはじめ、あらゆる生物は、動き回ることこそ生きている証とばかりに常にゆらいでいますが、それは規則正しく変化しているのでもありません。
 自然界は予測できない、不規則な変化すなわち「ゆらぎ」の連続です。宇宙根源の「無のゆらぎ」に感染したかのようなのです。
 人間は自然の中で進化してきました。太陽の光、星の光がゆらぎ、そして風がゆらぎ、気温もゆらぎ、お米や果物などの収量もゆらぎ・・・・といった環境につつまれて生活しています。ゆらいでいるからこそ、その環境によりよく適応して生き続け、繁栄していく生命体の能力が磨かれ、進化していくのだと考えられています。
 「ゆらぎ」があるからこそ、大は宇宙から、地球上の自然界も、そして人間界も調和がとれ、進化していくことが可能だというのです。
  地方都市にいきますと、整然と整ってはいないけれど、しっくりと落ち着いた美しさを感じさせてくれる町並みに出会うことがありますが、あいまいな雰囲気がその美しさを引き出しているようにも思われます。
 一方現代の都市空間は、四角四面というか、街並みも家の構造もまっすぐな直線で構成されていますし、空調によって温度も一定に保たれるように設計されています。
 街並みが、整然と整っていることによって感じる美しさもあるように思いますが、ただそれだけではすぐに飽きてしまうのではないでしょうか?
 私たちが仕事をするために建てられた都会のオフィスも、整然としていて自然界とは違いすぎる環境となっていることが多いように思います。自然の懐に抱かれた田園地帯で生活する人の眼には、都会は安らぎにかけた雰囲気に包まれているように映るのではないでしょうか?私たちは学校で、「ゆらぎ」などという不確かなものとは無縁の「物理法則」を習いますので、「ゆらぎ」と言われてもピンとこないのかも知れません。 一見、でたらめに変化しているように見える「ゆらぎ」ですが、大は宇宙から、小は生き物の心拍に至るまで、自然現象に見られる「ゆらぎ」は、それぞれの成分の波の強さが、その波の振動数に反比例している場合が多くみられるのだそうです。そこで振動数をfで表すと、それぞれの成分波の強さが1/fに比例するということなので、自然界の「ゆらぎ」は「1/fゆらぎ」と呼ばれています。
  138億年前に「無」がゆらいで誕生した宇宙は「1/fゆらぎ」を通して、私たちの暮らしを快適にしてくれているのです。古来、日本の家屋は木を素材として設計されてきました。木目模様を見ると心が落ち着いてくるものですが、この木目は、「1/fゆらぎ」になることが知られています。 びっくりですね。




宮本武蔵とゆらぎ

「ゆらぎ」研究の第一人者・東京工業大学名誉教授・武者利光氏は、「街によって、印象や景観が違うのは、この美しい乱れの構造をもっているのか、いないのかということに影響される部分が大きいのではないでしょうか?」と述べておられます。
 さらに、宮本武蔵の「五輪書・水之巻」の「兵法心持ちの事」に書かれている文章を通して「ゆらぎ」のことを紹介しておられます。

 ……「兵法の道におゐて、心の持ちやうは、常の心(平常心)に替わる事なかれ、常にも、兵法の時にも、少しもかはらずして、心を広く直にして(広い観点から真実を見て)、きつくひっぱらず(きんちょうせず)、少しもたるまず、心のかたよらぬように、心を真ん中におきて、心を静かにゆるがせて、其のゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、よくよく吟味すべし。静かなるときも心は静かならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は躰につれず(とらわれず)、躰は心につれず、心に用心して、身には用心はせず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあまらせず、うへの心(外見)はよはくとも、そこの心(心底)をつよく、心を人に見分けられざるやうにして、云々」
 ……中略…… 
 生涯、師と仰ぐ人をもたず、相手の剣の前で死を賭けて、いわば独学で武蔵が体得した兵法の極意は「ゆらぎ」だったのです。

 ………… 引用ここまで(武者利光「ゆらぎの発想」NHK出版をご参照ください)

 剣の達人・宮本武蔵が、イノチをかけて体得した兵法の極意が「ゆらぎ」であったというのには深い意味があるように思われます。原初の「ゆらぎ」を宇宙の意思とするなら、その宇宙の意思が不世出の達人・武蔵の心に伝わったということになるのかもしれません。
 「無のゆらぎ」から出発し、私たちは「イノチ」を与えられて「いまここ」に生きています。このことは全く偶然としか言いようがないように思われますが、そうではなく宇宙が始まったときにすでにデザインされていたのかもしれません。
 「無のゆらぎ」から出発し、宇宙はできあがったのですが、宇宙は自分で自分の姿を見ることができません。そこで自分自身を認識するための眼として、138億年かけて創り上げたのが人間であるという考え方があります。「人間原理」と呼ばれています。
 宇宙は人間をつくるためにデザインされていて、そのためのシナリオはすでに用意されていた、というのです。宇宙を存在させているのは、私たち人間に他ならないという考え方が、物理学の世界から生まれてきたところに現代という時代の核心があるのかもしれませんね。

*参考文献
・佐治晴夫「宇宙の不思議」PHP文庫
・宮本武蔵著 渡辺一郎校注「五輪書」岩波文庫